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Chapter 04

脳は回復する

朝6時。 布団から起きる。 カーテンを開ける。窓の外、駅の方向に、いつものパチ屋の看板が見える。

1年前は、この看板を見るだけで足が向いた。 半年前は、看板を見ても足は向かなかったが、一瞬、引っ張られる感覚があった。 3ヶ月前は、見ても何も感じなかったが、目で追っていた。 今朝は、看板があることに気づいたあと、「ふうん」と思って湯を沸かしに台所へ行った。

何が起きているか、自分でも分からない。 ただ、確実に何かが減ってきている。 これが「脳が戻る」ということなのか、と思った。


脳は変わる性質を持っている

脳は固定された機械ではない。経験によって物理的に変化する性質を持っている。 これを神経可塑性(しんけいかそせい)と呼ぶ。

ギャンブルを長年続けると、脳は「ギャンブル仕様」に変化する。 逆に、断ち続けると、脳は別の方向に変化する。「ギャンブル仕様」から少しずつ離れていく。

これは希望的観測ではない。 動物実験と人の脳画像研究で、断ち続けることで脳の機能が段階的に回復することが示されている。

「変化したから戻らない」のではなく、「変化する性質を持っているからこそ、別の方向にも変化できる」。


回復のタイムライン

依存症の脳の回復にはおおまかな時期がある。 個人差が大きいので「正確な日数」ではなく「目安」として読んでほしい。

最初の 72 時間

もっとも危険な時期である。

  • 渇望が頻繁に来る
  • 不眠、苛立ち、不安、落ち着かなさ
  • 「やめなければよかった」と思う瞬間が何度も来る
  • ここで再発する人がもっとも多い

最初の3日間を乗り切る最大の武器は、「物理的に環境を遮断する」ことである。 意志の力ではなく、お金へのアクセスを断ち、ギャンブルできない状態を作る。具体的な方法は第6章で扱う。

1 週間目

渇望のピークは1週間目前後にある。

  • 体は少し落ち着く
  • 食欲が戻り始める
  • 睡眠も少し戻る
  • でも気持ちは「楽しくない」「むなしい」状態が続く

これが「ドーパミンの罠」の章で書いた「楽しいが薄い」期間の始まりである。 ここで「やめても何の楽しみもない」と感じて、再発する人が出る。

1 ヶ月目

渇望の頻度が少し減る。

  • 「やりたい」より「面倒」のほうが増える瞬間がある
  • 睡眠と食欲はほぼ通常に戻る
  • 気持ちはまだ「楽しくない」状態が続く

ここで「もう自分は治った」と思って油断する人がいる。これは危険である。 脳の変化はまだ始まったばかりで、強い引き金があれば渇望は簡単に戻ってくる。

3 ヶ月目

脳画像で変化が見え始める時期である。

  • ドーパミンの過剰な放出が少しずつ落ち着く
  • ブレーキ役の働きが戻ってくる
  • 食事や運動、人とのつながりに少しずつ「楽しい」を感じるようになる

ただし、3ヶ月目でも渇望は不意に強く来ることがある。 脳の中の「きっかけに対する条件づけ」は、機能の回復より時間がかかる。 パチ屋の音や匂いに対する反応は、まだ残っている。

6 ヶ月目

多くの当事者が「世界が少し変わって見える」と語る時期である。

  • ギャンブル以外のことに興味が少しずつ戻る
  • 趣味、仕事、家族関係に意識が向く
  • 「やめられた」という実感が出てくる

ここで初めて、自分の人生の時間が増えていることに気づく人が多い。 ただし、強い引き金があれば渇望は依然として来る。

1 年目

脳の変化が安定し始める時期である。

  • 多くの場合、生活全体が変わっている
  • 「あの頃の自分」に戻りたいとは思わなくなる
  • 「やめている」という意識が薄れる時期

冒頭の場面で書いた「看板を見ても『ふうん』と思う」ような状態に近づく人が出てくる。 ただし、1年目でも油断すると再発する。実際、1年達成後に再発する人は少なくない。

2 年以降

脳の構造的な変化が、より深いところまで戻り始める。

  • 5年以上断った人の脳画像は、依存になる前に近い状態に戻ることが報告されている
  • 「やめている」が「自分の生き方」になる
  • 完全に渇望が消える人もいれば、消えない人もいる

ここまで来ても「治った」とは言わない。依存症は「治る」ものではなく「コントロールできる状態を維持する」ものとされている。 だが、ここまで来た人の生活は、ギャンブル時代とはまったく別物になっている。


「何も感じない期間」をどう乗り越えるか

回復のタイムラインで、ほとんどの当事者がぶつかる壁がある。 「何も感じない期間」である。

ギャンブルをやめてから数週間〜数ヶ月の間、楽しいことを楽しいと感じない期間が続く。 食事はまずくないが、おいしくもない。 休日に何をしても、時間が遅く流れる。 家族と話していても、頭の半分が空っぽになる。

これは脳の問題で、人格の問題ではない。 依存の脳は「やりたい」だけが強まり「楽しい」が薄れた状態になっている。 やめても、その「楽しい」がすぐに戻るわけではない。脳の回路が回復するには時間がかかる。

ここで「やめてもこんなに楽しくないなら、やめる意味がない」と思う人が多い。 そして、ここで再発する人が多い。

この期間を乗り越えるための覚えておくべきこと:

  • 楽しさは「いつか急に戻る」のではなく「少しずつ戻る」
  • 最初は気づかないほど薄い
  • 戻ってきていることに気づいた瞬間に、もう戻り始めている
  • 待つしかない
  • 待っている間も、別の活動を続ける(運動、人と会う、何かを作る、寝る、食べる、太陽を浴びる)

すぐに楽しさが戻ることを期待しないこと。「楽しくない時期がある」と知っていることが、その時期を乗り越える支えになる。


回復は直線ではない

回復は「右肩上がりの曲線」ではない。「波打つ前進」である。

良い日があれば、悪い日もある。 1ヶ月調子が良くて、突然3日続けて辛い日が来る。 半年たった頃に「もう全然平気」と思った瞬間に、強い渇望が来る。 これはどの当事者にも起きる。

再発する人もいる。 再発しても、また始められる。「再発は失敗ではない」というテーマは後の章で改めて扱うが、回復のタイムラインの中でも同じことが成り立つ。

回復の定義は「再発しないこと」ではなく、「諦めずに続けること」である。


「自分は今、何ヶ月目か」を意識する

自分がいまタイムラインのどこにいるかを意識すると、何が起きているかが理解できる。

時期起きること対策
最初の 72 時間強い渇望、不眠、苛立ち物理的遮断、HALT 対策
1 週間目渇望のピーク渇望サーフィン、人と話す
1 ヶ月目渇望は減るが楽しくない期待しない、別の活動を続ける
3 ヶ月目脳の変化が始まる微妙な変化に気づく
6 ヶ月目「やめられた」感油断しない
1 年目生活全体が変わる新しい自分を受け入れる
2 年以降安定する「やめている」が普通になる

「いま自分は2週目だから、楽しくないのは当然だ」と分かっていれば、不安が減る。 「いま自分は3ヶ月目だから、強い渇望が来てもおかしくない」と分かっていれば、対処できる。

タイムラインを知ることは、現在地を知ることである。 現在地が分かれば、どこに向かっているかも分かる。

参考文献
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  • Volkow, N.D., Koob, G.F., & McLellan, A.T. (2016). Neurobiologic Advances from the Brain Disease Model of Addiction. New England Journal of Medicine, 374(4), 363-371.
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  • Berridge, K.C., & Robinson, T.E. (2016). Liking, wanting, and the incentive-sensitization theory of addiction. American Psychologist, 71(8), 670-679.
  • Bartzokis, G., Beckson, M., Lu, P.H., Edwards, N., Bridge, P., & Mintz, J. (2000). Brain maturation may be arrested in chronic cocaine addicts. Biological Psychiatry, 48(7), 605-611.
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