恥と罪悪感を区別する
家族会議が終わった。 妻の両親が来ていた。 自分の父と母も呼ばれていた。 自分の借金、妻に対する隠し事、子供の進学費用がパチンコに消えたこと。 全部、皆の前で並べられた。
「お前は人間として終わっている」と父が言った。 反論しなかった。事実だと思った。
家を出て、自販機の前で立ち止まった。 体が動かない。 家族の誰の顔も見られない。 「自分なんていなくなったほうがいい」と頭の中で何度も繰り返していた。
いま思えば、この瞬間がいちばん危なかった。 怒られたからじゃない。 「自分は終わっている」と自分で信じてしまったからだった。
恥と罪悪感は別物
似た感情のように思える「恥」と「罪悪感」は、心理学の研究で明確に区別されている。 違いを一言で書くと、こうなる。
- 罪悪感: 「私は悪いことをした」(行動への評価)
- 恥: 「私は悪い人間だ」(自分自身への評価)
罪悪感は、自分の行動について「あれは間違いだった」と感じる感情である。 恥は、自分という存在について「私はダメだ」と感じる感情である。
両者は似ているようで、効果が真逆である。 罪悪感は行動を変える動機になる。恥は人を麻痺させる。
恥がギャンブル依存を強化する仕組み
恥には、依存症を強化するループがある。
- ギャンブルをする
- 「自分はダメな人間だ」と感じる(恥)
- 自分を責めることに耐えられない
- その苦しみから逃げるためにギャンブルをする
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恥は「自分への攻撃」である。攻撃され続けると、人は苦しい。 苦しいから、その苦しみから逃げたくなる。 逃げる方法として、もっとも手近にあるのが依存行動である。
つまり、恥そのものが再発の引き金になる。 やめたあとに「自分はダメだ」と感じれば感じるほど、再びやめたい行動に戻りやすくなる。 やめた人ほど恥を強く感じやすく、その恥が次の再発を呼ぶ。
研究では、恥のレベルが高い依存当事者ほど治療効果が低く、再発率が高いことが繰り返し示されている。
日本のギャンブル依存と恥
ここで日本固有の話を書く。
日本のギャンブル依存当事者のうち、何らかの治療や支援につながっている人は、推計で1割未満とされている。 他の先進国と比べても、極端に低い数字である。
研究で、治療への最大の壁として繰り返し挙げられているのが「恥」である。
- 「家族にバレたくない」
- 「専門家に話すなんて恥ずかしい」
- 「自分は社会人として失格だ」
- 「精神科に行くなんて、おかしい人間がやることだ」
これらの恥が、専門家へのアクセスを止める。 そして、孤立した中で依存が深まる。
恥は個人の問題でもあるが、社会の中で作られる感情でもある。 日本の社会では、依存症を「自己責任」「意志の弱さ」として扱う空気が長く続いてきた。 その空気を内面化した結果、当事者は二重に恥を抱えることになる。
「依存症である自分」への恥と、「依存症と認める自分」への恥。
これが、回復のもっとも大きな壁のひとつである。
罪悪感は使える感情
恥が依存を強化する一方で、罪悪感は使える感情である。
- 「私はギャンブルで家族を傷つけた」 → 罪悪感
- 「私はギャンブルする人間として終わっている」 → 恥
罪悪感は、特定の行動について「あれは間違いだった」と認識する。 だから、その行動を変える動機になる。 「次はやらない」「家族に補償する」「専門家に相談する」「借金を整理する」のような建設的な行動につながる。
ただし、罪悪感が過剰になると恥に変わる。 「あれは間違いだった」が「私はダメな人間だ」に変わった瞬間に、燃料が毒になる。
適度な罪悪感は燃料、過剰な罪悪感は毒。 この線引きを意識することが大事である。
恥から抜け出す具体的なステップ
「自分」と「行動」を分ける
頭の中で、「自分」と「自分がやった行動」を分ける練習をする。
- ✗ 「私はギャンブル人間だ」
- ✓ 「私はギャンブルをした」
たった一文字の違いだが、脳の中で起きることが違う。 「人間」と書くと、自分という存在の評価になる。 「した」と書くと、行動の評価になる。
この練習を、日記でも、頭の中でも、やってみる。 最初はぎこちないが、続けると効いてくる。
恥を声に出す
恥は、隠れた場所で育つ感情である。 誰にも見せないで自分の中で抱えていると、どんどん大きくなる。
逆に、誰かに恥を話すと、恥は弱まる。 これは恥の研究でも繰り返し示されている。
- GA(ギャンブラーズ・アノニマス)の仲間
- 信頼できる家族や友人
- 医療者、カウンセラー
- 依存症の自助グループ
「これは恥ずかしい話なんだけど」と前置きして話すだけでいい。 聞いてもらった瞬間に、恥のサイズが少し変わる。
行動の修正に集中する
「自分はダメだ」と思うエネルギーを、「次はこうする」に向ける。 具体的な行動に焦点を移すと、恥の出番が減る。
例:
- 「自分は家族を傷つけた」→ 「明日、家族に謝る言葉を1つ用意する」
- 「自分は借金まみれだ」→ 「来週、法テラスに電話する」
- 「自分はやめられない」→ 「今日のお金へのアクセスを1つ遮断する」
抽象的な反省より、具体的な次の行動が回復を進める。
自分への思いやり
「自己への思いやり(self-compassion)」と呼ばれる方法がある。 自分を責める代わりに、自分に対して「友人に話すように」語りかける。
たとえば、こう問う: 「同じ状況にいる友人がいたら、自分は何と言うか?」
「お前は終わっている」とは言わないはずである。 「辛かったね」「ここまで来るのに、いろいろあったね」「これからどうしていきたい?」と言うはずである。
それを、自分自身に言う。 最初は気持ち悪く感じるかもしれない。 だが、続けると恥が薄まる。
恥に時間を使わないこと
恥に時間を使うのは、回復に使えるエネルギーを無駄にする。 責める時間が長い人ほど、回復が遠ざかる。 責めずに行動する人ほど、回復が早い。
これは「自分を許す」とか「怠慢を見逃す」という意味ではない。 エネルギーの配分の話である。
恥に1時間使うなら、そのエネルギーを「明日の遮断計画」「家族への謝罪の言葉」「医療機関の検索」に向ける。 責めても何も変わらない。行動だけが現実を変える。
「自分なんていなくなったほうがいい」
冒頭の場面の最後に、「自分なんていなくなったほうがいい」と書いた。 これは恥が極限まで高まったときに出る思考である。 依存症の自殺念慮の引き金として、よく知られている。
ここまで来たら、第8章の安全計画を発動する。 迷わず、緊急連絡先に電話する。
緊急連絡先 よりそいホットライン: 0120-279-338(24時間・無料) いのちの電話: 0570-783-556 救急: 119
恥は感じる感情である。だが、恥に従って行動するものではない。 感じたら、感じたままにしておく。行動には移さない。 迷ったら、人に話す。
参考文献
- Brown, B. (2012). Daring Greatly: How the Courage to Be Vulnerable Transforms the Way We Live, Love, Parent, and Lead. Gotham Books.
- Brown, B. (2010). The Gifts of Imperfection. Hazelden Publishing.
- Tangney, J.P., Stuewig, J., & Mashek, D.J. (2007). Moral emotions and moral behavior. Annual Review of Psychology, 58, 345-372.
- Dearing, R.L., Stuewig, J., & Tangney, J.P. (2005). On the importance of distinguishing shame from guilt: Relations to problematic alcohol and drug use. Addictive Behaviors, 30(7), 1392-1404.
- Neff, K.D. (2003). Self-compassion: An alternative conceptualization of a healthy attitude toward oneself. Self and Identity, 2(2), 85-101.
- Yi, S., & Kanetkar, V. (2010). Coping with guilt and shame after gambling loss. Journal of Gambling Studies, 27(3), 371-387.
- 松本俊彦 (2018). 誰がために医師はいる. みすず書房.
- 信田さよ子 (2014). 依存症臨床論. 青土社.