死にたいと思ったとき: 安全計画
本章は自殺念慮(死にたいという気持ち)について扱います。いま強い辛さを感じている場合、まず次の連絡先に連絡してください。
- よりそいホットライン: 0120-279-338(24時間・無料)
- いのちの電話: 0570-783-556
- 救急: 119
- 各地の 精神保健福祉センター
本章は一般的な情報であり、個別の医療判断の代わりにはならない。具体的な治療や入院は精神科の医師に相談すること。
深夜2時。 布団の中で天井を見ている。 今日、家族に借金の総額がバレた。 妻の顔は思い出せない。たぶん泣いていた、と思う。
明日、会社に行く気力がない。 保険金のことを考えている。 自分が消えれば、家族はその金で楽になるのではないか。 そう思った瞬間、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。 落ち着いたことが、いちばん怖かった。
ギャンブル依存と自殺
正直な事実から書く。 ギャンブル依存当事者の自殺リスクは、一般人口より高い。複数の研究で、おおよそ3〜4倍と報告されている。 過去に自殺念慮(死にたいという気持ち)を経験した割合は、当事者の半数前後にのぼる調査結果もある。 他の依存症と比べても、ギャンブル依存は自殺リスクが特に高いことが知られている。
主な理由として研究で挙げられているのは以下である。
- 借金による経済的な追い詰め
- 家族・職場との関係破綻
- 罪悪感と恥
- 隠してきた事実が露呈する瞬間
- 「自分が消えれば家族が楽になる」という認知のゆがみ
- 共存するうつ病・不安障害
冒頭の場面はフィクションではない。多くの当事者がよく似た経験を語っている。 特に、家族にバレた直後、給料日や請求書が来た日、債務整理の話が動き出した時期は、自殺リスクがもっとも高いタイミングのひとつである。
これを書く理由は、脅すためではない。 「自分はおかしくなったのではない。これは依存症の典型的な症状のひとつだ」と知ってもらうためである。
「死にたい」と感じることは、人格の問題でも弱さでもない。 ギャンブル依存という病気の、よくある症状の一つである。
「決意」では足りない理由
「自分は死なない」と決意するだけでは、不十分である。
危機の瞬間、脳のブレーキ役(前章までで何度も出てきた前頭前皮質)の働きはほぼ停止している。 判断力、長期的な視点、自分への思いやり、家族への思い。これらは全部、その瞬間には機能しない。 代わりに、「楽になりたい」という強い衝動と、「自分が消えれば」という認知のゆがみが脳を支配する。
決意は、脳が冷静なときには有効である。 だが、危機の瞬間には決意は消える。だから、決意の代わりに「計画」が必要である。
事前に「こういうサインが出たら、こう動く」と決めておく。書いておく。手元に置いておく。 危機の瞬間には、考えなくていい。書かれた通りに動くだけでいい。
これが「安全計画」(Safety Planning)の基本的な発想である。
安全計画の 6 ステップ
安全計画は2012年にアメリカで体系化され、いまでは自殺予防の標準的な方法として世界各国で使われている。 6つのステップから成る。
ステップ 1: 警告サインを認識する
自分の中で「あぶない」のサインを書き出す。 このサインが出たら、次のステップに進む。
例:
- 何日も不眠が続く
- 食欲がなくなる
- 仕事に行く気力がなくなる
- 人と話したくなくなる
- 保険金のことを考え始める
- 過去にあきらめかけた瞬間のことを繰り返し思い出す
- お酒の量が急に増える
- 「楽になりたい」という言葉が頭の中で繰り返される
5つ以上書き出す。書き出すと、自分の警告サインのパターンが見えてくる。
ステップ 2: 自分でできる対処
警告サインに気づいたら、まず自分一人でできる対処を試す。 「考えるな」ではなく「別のことをする」。
例:
- 散歩に出る(外の空気と歩くリズムが脳を切り替える)
- シャワーを浴びる、お風呂に入る
- 好きな音楽を聴く
- 5-4-3-2-1 グラウンディング(前章の渇望対処と同じ)
- 紙に思っていることを書きなぐる
- 動物と遊ぶ
- 軽い運動をする
5つ以上書き出す。 これらは「気持ちを変える」のが目的ではない。「危機の波を時間で過ごす」のが目的である。
ステップ 3: 注意をそらせる場所・人
家にいられないとき、行ける場所を書き出す。 人と話さなくてもいい場所も含める。
例:
- 24時間営業のカフェ、ファミレス、コンビニ
- 図書館(昼)
- 公園、神社
- 大きな駅の構内
- 病院のロビー(救急受付がある)
人がいる場所にいるだけで、脳の状態が少し変わる。
ステップ 4: 助けを求める家族・友人
危機のときに電話やメッセージができる人を、最低3人書き出す。 名前と電話番号を必ず書く。
事前に、その人に一言伝えておく。 「もしものとき、夜中でも連絡するかもしれない」。 完璧な説明はいらない。一言でいい。
選ぶ基準:
- 「忙しいかな」と思わずに連絡できる人
- 状況を全部説明しなくても、声を聞いてくれる人
- 説教したり責めたりしない人
- 家族でも友人でもGA仲間でもいい
ステップ 5: 専門家・機関への連絡先
家族・友人で対応しきれない場合の、専門の連絡先を書き出す。
- かかりつけの精神科または依存症外来の電話番号
- 各地の精神保健福祉センターの電話番号
- よりそいホットライン: 0120-279-338(24時間、無料)
- いのちの電話: 0570-783-556
- いのち SOS: 0120-061-338
- 救急: 119
これらをスマホのお気に入りに登録する。 紙にも書いて、財布に入れておく。
ステップ 6: 致死的手段への接近を制限する
危機の瞬間、手元に「使えるもの」がないことが、いちばん命を守る。
具体的には、自殺の手段になりうるものを物理的に遠ざける。
- 余分に処方されている薬を家族に預ける
- 紐、刃物、ロープを家族に預ける、または家から出す
- 「保険金のことを考えている」場合、保険証券も家族に預ける
- 高所に行く習慣がある場合、その場所を避けるルートを作る
これは「自殺を考えている自分」を信じないことで命を守る、という発想である。 危機の瞬間に「使えるもの」が手元になければ、行動に移すまでの時間ができる。 時間ができれば、波は引く。
研究では、致死的手段への接近を制限することが、自殺予防のもっとも確実な方法のひとつであることが繰り返し示されている。
危機の瞬間にすること
「いま、死にたい」と感じている場合、以下を順番にやる。
- 「いま危機だ」と認識する 感情に名前をつけるだけで、脳の働きが少し戻る。
- 安全計画のリストを開く 財布、スマホの待ち受け、家の壁、どこに置いてもいい。事前に決めた場所から取り出す。
- ステップ 2(自分でできる対処)を1つ試す どれでもいい。1つ。
- 収まらないならステップ 3(場所を移動) 家から出る。コンビニでも、駅でも、コンビニの駐車場でもいい。
- それでもダメならステップ 4(誰かに電話) 名前リストの一番上から順番にかける。出なかったら次。
- 専門家・救急に連絡(ステップ 5) ためらわない。話せなくてもいい。「死にたい気持ちがある」と一言だけでいい。
順番にやる。1つで効かなくても、次。 全部やっても収まらないなら、迷わず救急(119)か精神科の救急受診を選ぶ。
「家族にバレたから死にたい」への対処
ギャンブル依存の自殺念慮で多いパターンが、「借金がバレた」「家族が泣いた」「もう生きていけない」というものである。 冒頭の場面もこれに当たる。
このときの脳は、強い認知のゆがみに支配されている。 「自分が消えれば家族が楽になる」という考えは、ほぼ100%間違いである。事実ベースで書く。
借金は必ず解決する道がある
借金は、法的整理という選択肢で必ず解決できる。 任意整理、特定調停、個人再生、自己破産。それぞれ条件と影響は違うが、どの選択肢も「人生を続けるための制度」として用意されている。 借金で人生が終わることはない。これは事実である(詳細は本書の第18章「借金の全体像」と第19章「法的整理への入口」で扱う)。
家族関係は修復できる、または別の道がある
家族関係は時間をかけて修復できる。 信頼を取り戻すには時間がかかるが、修復している人は実際に多くいる。 仮に修復できなかったとしても、人生はそこで終わらない。家族と離れて回復した人もたくさんいる。
「自分が消えれば家族が楽」は事実ではない
これがいちばん大事な事実である。
- 遺族年金・保険金には制限が多い。多くの場合、想像しているような額にはならない
- 自殺者の遺族は、長期にわたって深い苦しみを抱える。「楽になる」とはほど遠い
- 子供がいる場合、子供の人生に大きな影響が残る
- 家族が「自分のせいで死んだ」と自分を責め続ける
「自分が消えれば家族が楽」は、危機の脳が作り出す典型的な認知のゆがみである。 信じたくなる気持ちは分かる。だが、事実ではない。
危機の瞬間にこれを信じてしまわないために、いま、この章を読んでいる平静な瞬間に、はっきりと書いておく。
「自分が消えれば家族が楽」は嘘である。
自分の安全計画を作る
ここで一度、ペンとノートを取り出す。 以下の項目を書き出す。完璧じゃなくていい。書き始めることが大事。
【私の安全計画】
1. 警告サイン(5つ以上):
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2. 自分でできる対処(5つ以上):
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3. 行ける場所(3つ以上):
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4. 連絡できる人(3人、名前と電話番号):
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5. 専門家・機関の連絡先:
・かかりつけの精神科:
・精神保健福祉センター:
・よりそいホットライン: 0120-279-338
・いのちの電話: 0570-783-556
・救急: 119
6. 手元から遠ざけるもの:
・
・
書いたら、写真に撮ってスマホの待ち受け画像にする。 紙のものを財布に入れる。 家の壁に貼る。 危機のとき、思い出さなくても見られる場所に置いておく。
参考文献
- Stanley, B., & Brown, G.K. (2012). Safety Planning Intervention: A Brief Intervention to Mitigate Suicide Risk. Cognitive and Behavioral Practice, 19(2), 256-264.
- Karlsson, A., & Håkansson, A. (2018). Gambling disorder, increased mortality, suicidality, and associated comorbidity: A longitudinal nationwide register study. Journal of Behavioral Addictions, 7(4), 1091-1099.
- Battersby, M., Tolchard, B., Scurrah, M., & Thomas, L. (2006). Suicide ideation and behaviour in people with pathological gambling attending a treatment service. International Journal of Mental Health and Addiction, 4(3), 233-246.
- Wong, P.W.C., Cheung, D.Y.T., Conner, K.R., Conwell, Y., & Yip, P.S.F. (2010). Gambling and completed suicide in Hong Kong: a review of coroner court files. The Primary Care Companion to the Journal of Clinical Psychiatry, 12(6), PCC.09m00932.
- Newman, S.C., & Thompson, A.H. (2003). A population-based study of the association between pathological gambling and attempted suicide. Suicide and Life-Threatening Behavior, 33(1), 80-87.
- 自殺対策基本法 (2006). 平成18年法律第85号.
- 厚生労働省 (各年). 自殺対策白書.
- World Health Organization (2014). Preventing Suicide: A Global Imperative. WHO Press.
- Mann, J.J., Apter, A., Bertolote, J., et al. (2005). Suicide prevention strategies: a systematic review. JAMA, 294(16), 2064-2074.