回復資本: 自分の中にあるもの
弁護士事務所の帰り道。 3つ目の任意整理の打ち合わせを終えた。 頭の中はぐるぐるしている。
帰りの電車で、ふと考えた。 「自分には何が残っているのか」
借金がある。仕事はかろうじて続いている。家族との関係はぎりぎり。 失ったものを数え始めると、止まらない。
ふと、ポケットの中の手帳に気がついた。 中には、3週間続けてきた断行動の記録がある。 小さなチェックマークが並んでいる。
これも、自分が持っているものかもしれない、と思った。 失ったものだけを数えていたが、まだ手元にあるものもある。
回復資本という考え方
「回復資本」(recovery capital) という考え方がある。 依存症から回復する人が持っている、または使える資源の総和を指す概念である。
お金やモノの話だけではない。 内側にあるもの、人とのつながり、生活の基盤、文化や信念、これらすべてを含む。
研究で繰り返し示されているのは、回復資本が多い人ほど、依存からの回復が安定しやすいということである。 逆に、回復資本が少ない人ほど、回復が難しい。
回復資本は固定されていない。 増やすことができる。 減ったように見えても、別の場所で増やすことができる。 1つの資本をまったく持っていない人でも、別の資本を育てることができる。
回復資本は、おおまかに4つのカテゴリに分けられる。
- 内的資本(自分の中にあるもの)
- 社会資本(人とのつながり)
- 物理資本(生活の基盤)
- 文化資本(信念、価値観、コミュニティ)
それぞれを順番に見ていく。
内的資本: 自分の中にあるもの
内的資本は、自分の中に持っている資源である。 「これは自分にとって資本だ」と気づきにくいことが多い。
例
- 健康(身体的、精神的)
- 過去の経験から学んだこと
- 困難を乗り越えてきた実績
- 自分への気づきの能力
- 何かを続けてきた経験
- 学ぶ意欲、変わる意欲
- 自分を客観視できる瞬間
- 言葉にする力
- 笑える瞬間がある
- 朝起きられること
- 食べられること
- 仕事に行けていること
「すでにある」を認める
依存当事者は、自分の中にあるものを「ある」と認めるのが苦手である。 「自分には何もない」と感じている人ほど、実は内的資本を持っている。
たとえば「本書を読んでいる」という事実そのものが、内的資本の証である。 「読んでみよう」と思った力。 「変わりたい」と思った気持ち。 ここまで読んできた集中力。
これらは、すでに自分の中にある。 ゼロから作る必要はない。
内的資本の棚卸し
紙に書いてみる。
- 自分の体は、いまどんな状態か
- 過去に「諦めずに続けた」ことは何か
- 自分について「悪くない」と思えるところは
- 自分が好きなことは何か(昔でもいい)
- 「変わりたい」と思った瞬間は、いつだったか
書けない項目があってもいい。 書けた項目だけが、いまの自分の内的資本である。
社会資本: 人とのつながり
社会資本は、自分をめぐる人間関係である。 家族、友人、同僚、医療者、自助グループ、近所、コミュニティ。
例
- 家族(直接的な家族、親戚)
- 友人(昔の友人、いまの友人)
- 同僚、上司、部下
- 医療者、カウンセラー、ケースワーカー
- 自助グループの仲間(GA、QuitMate のコミュニティ等)
- 弁護士、司法書士
- 趣味の仲間
- 近所の人、店員、行きつけの人
- オンラインで知り合った人
「壊れた」と「壊れていない」を分ける
依存症の経過の中で、人間関係は壊れることがある。 だが、すべてが壊れているわけではない。
壊れた関係:
壊れていない関係(または、まだ細い糸でつながっている関係):
「壊れていない」のリストが1人でもあれば、それは社会資本である。 0人と感じる人は、医療者・相談員・自助グループのスタッフを「これからの社会資本」として数える。
社会資本の特徴
社会資本は、増やすのに時間がかかるが、増やすほど回復が安定する。 増やし方は、本書のあちこちで触れてきた。
- 家族との関係を行動で立て直す(第20章)
- 助けを求める(第10章)
- GA や自助グループに行く(第22章)
- QuitMate などのコミュニティに参加する
最初の一人ができれば、二人目、三人目は少し簡単になる。
物理資本: 生活の基盤
物理資本は、生活を成り立たせている物質的・経済的な基盤である。 ここがゼロに近い人もいるが、ゼロでない場合は必ず認識しておく。
例
- 住む場所(持ち家、賃貸、実家)
- 仕事と収入
- 生活用品(家具、家電、衣類)
- 食料、水、衛生環境
- 移動手段(車、自転車、定期券)
- スマホ、パソコン
- 健康保険、年金などの社会保障
- 緊急時に使える小さな貯金
借金があっても物理資本はゼロではない
借金があっても、住む場所がある、仕事がある、健康保険があるなら、それは物理資本である。 ゼロに近づいていく感覚があっても、まだあるものをまず認識する。
「失ったもの」と「まだあるもの」のバランスを見る。 失ったものだけ見ていると、まだあるものが見えなくなる。
物理資本がほぼゼロの場合
仕事を失った、住む場所がない、健康保険もないという状態の人もいる。 そのときは、社会保障制度を使う。
- 生活保護
- 住居確保給付金
- 緊急小口資金
- 福祉事務所の相談
これらは「使ってはいけないもの」ではない。 「困っている人が使うために用意されているもの」である。
詳細は第22章で扱った相談窓口や、第18-19章の借金・法的整理の章を参照する。
文化資本: 信念、価値観、コミュニティ
文化資本は、自分が大事にしている価値観、信念、所属しているコミュニティの文化である。 これも資本である。
例
- 「自分はこういう人間でいたい」という価値観
- 大事にしている信念
- 宗教や哲学、思想
- 生まれ育ったコミュニティの文化
- 自分が共感する映画・本・音楽
- 家族から受け継いだ習慣
- 日本人として、男性として、女性として、親として、子として、の自分
文化資本は「自分を支える物語」
人は「自分はこういう物語の中にいる」という感覚で生きている。 依存症に飲み込まれているとき、その物語が崩れる。 「自分は依存者だ。それ以外に何もない」という物語に縮む。
文化資本は、別の物語を持っていることである。
- 「自分は親としてやれる人間だ」
- 「自分は仕事を続けてきた人間だ」
- 「自分はこの音楽を聴くと落ち着く人間だ」
- 「自分はこういう価値観で生きてきた」
これらの物語は、依存に飲み込まれていない自分を記憶している。 回復の過程で、その物語に戻れるようになる。
文化資本を意識する
普段意識しないことを、意識して書き出す。
- 自分が大事にしてきた価値観は何か
- 子供の頃、夢中になっていたものは
- いつか戻りたい場所、会いたい人
- 「自分はこういう人間だ」と言える特徴
書けない人もいる。 書けない場合は、これから作ればいい。 文化資本も、ゼロから育てることができる。
回復資本の棚卸し
ここまでの4つを使って、自分の回復資本を棚卸しする。 完璧に書く必要はない。書ける範囲でいい。
【内的資本】
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【社会資本】
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【物理資本】
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【文化資本】
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書き終わったら、全体を眺める。 「ない」と思っていたが、実はあるものが見えてくる。
ない部分は、これから増やせる。 ある部分は、もっと使える。 全部ゼロな部分は、たぶん1つもない。
「足りないもの」より「すでにあるもの」
依存症の脳は、「ない」を強調しやすい。
- 失った金
- 壊れた関係
- 過ぎ去った時間
- できなかったこと
これらに注意が向いている時間が長いほど、回復は進みにくい。 「ない」を見続けると、エネルギーが消耗する。
「すでにあるもの」に目を向けると、エネルギーが少し戻る。
- 今日、ご飯が食べられた
- 今日、誰かと話せた
- 今日、ギャンブルしなかった
- 今日、本を1ページ読んだ
これらは小さなことだが、「ある」の側である。 「ある」の側を毎日確認すると、自分の回復資本が少しずつ育っていく感覚が出てくる。
参考文献
- Granfield, R., & Cloud, W. (1999). Coming Clean: Overcoming Addiction Without Treatment. New York University Press.
- Cloud, W., & Granfield, R. (2008). Conceptualizing recovery capital: Expansion of a theoretical construct. Substance Use & Misuse, 43(12-13), 1971-1986.
- White, W., & Cloud, W. (2008). Recovery capital: A primer for addictions professionals. Counselor, 9(5), 22-27.
- Best, D., & Laudet, A.B. (2010). The Potential of Recovery Capital. RSA Projects.
- Laudet, A.B., & White, W.L. (2008). Recovery capital as prospective predictor of sustained recovery, life satisfaction, and stress among former poly-substance users. Substance Use & Misuse, 43(1), 27-54.
- Vaillant, G.E. (2003). A 60-year follow-up of alcoholic men. Addiction, 98(8), 1043-1051.
- Hennessy, E.A. (2017). Recovery capital: A systematic review of the literature. Addiction Research & Theory, 25(5), 349-360.