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全体像と緊急対処 引き金とスキル 第14章

逃げるプランを立てる: 危機の瞬間に勝手に動ける仕組み

午後5時半。 保育園のお迎えから帰る道。 息子は手をつないで歩いている。

家の鍵を回す瞬間、いつもあれが来る。 玄関を開けたら、夫はまだ仕事。 冷蔵庫を開けて何か作らなきゃ。 子供を寝かせたあと、何時間か空く。 あの何時間かのことを考えた瞬間、もう体が向き始めている。

「夫が遅い夜は危険」と知っている。 頭では分かっている。 だが、知っているだけでは足が止まらない。 3週間ぶりにスマホアプリを開いて、コンビニATMの場所を検索していた。 その日、子供を寝かせたあとパチンコ屋に行った。 帰ったのは朝4時だった。


「決意」が役に立たない瞬間がある

平静なときの決意は強い。 朝、シャワーを浴びながら「今日はやらない」と決めた自分。 昼休み、コーヒーを飲みながら「もうこんな生活は嫌だ」と思った自分。 これらは本気である。嘘ではない。

ところが、夜の家の中、子供を寝かせたあとの空白時間、夫の帰りが遅い夜。 朝に決めた自分はもう、そこにはいない。 代わりにいるのは、ブレーキ役の働きが落ちて、「やりたい」だけが強くなった脳である。

「分かっている」と「動ける」は別物である。 頭で分かっていても、体は別の方向に動く。 これは前章までで何度も書いてきた、依存症の脳の物理的な状態である。

決意の代わりに必要なのは、「考えなくても動ける仕組み」である。


if-then プランニング: 「もし X なら Y」

心理学の研究で、目標達成率を大きく上げる方法が知られている。 名前は難しいが、やることはシンプルである。

「もし X が起きたら、Y する」を事前に決めておくだけ。

これだけで、目標を達成する確率が大きく上がることが、過去30年以上の心理学研究で繰り返し示されている。 依存症だけでなく、ダイエット、運動、勉強、慢性疾患の管理など、幅広い分野で有効性が確認されている。

なぜ効くのか:

  • 危機の瞬間、脳は「考える」のが苦手
  • でも「自動的に動く」のは得意
  • 「もし X なら Y」を事前に紐づけておくと、X が起きた瞬間に脳が Y を自動で実行する
  • 「決意」が「自動」に変わる

つまり、危機の瞬間にゼロから判断しようとせず、事前にセットしておいた「条件と反応」を使う、という発想である。


ギャンブル依存の if-then の例

具体例を挙げる。

もし(X)こうする(Y)
もしパチンコ屋の前を通りそうになったら反対側の道に渡る
もし給料日が近づいたら給料日の前日に振込口座を家族口座に変える
もし家に一人でいる夜になったら19 時までに友人に LINE を1通送る
もし渇望が10分以上続いたら玄関を出て10分歩く
もし HALT のうち2つが揃ったらその日は早めに寝る
もし子供を寝かせたあとに「あの何時間か」を考えたら風呂に入る
もしスマホでギャンブル系アプリを開きそうになったらスマホを別の部屋に置いて居間で本を開く

ポイントは2つ:

  1. X は具体的な条件 にする

    • ✗「危ないと感じたら」(曖昧)
    • ✓「金曜の夜、夫の帰りが遅い日」(具体的)
  2. Y は体が動く具体的な行動 にする

    • ✗「気持ちを切り替える」(行動になっていない)
    • ✓「玄関を出て10分歩く」(具体的)

自分の if-then を作る

ここでペンとノートを取り出す。次の手順で作る。

ステップ 1: 過去の再発のトリガーを書き出す

過去の再発を思い出して、引き金になった状況を5つ書く。 例:

  • 給料日の翌日
  • 夫の出張中の夜
  • 仕事で大きな失敗をした日
  • 子供を寝かせたあとの空白時間
  • 月末の支払いが多い日

ステップ 2: それぞれに Y(行動)を決める

トリガーごとに、「そのとき何をする」を1つ決める。 できるだけ具体的に。体が動く行動で。

例:

  • 給料日の翌日 → 朝、銀行アプリで引き出し限度額を 1万円に下げる
  • 夫の出張中の夜 → 18時に母にビデオ通話する
  • 仕事で失敗した日 → 帰り道、駅から1駅分歩く
  • 子供を寝かせたあとの空白時間 → 風呂に入る + 本を1章読む
  • 月末の支払いの日 → 朝、夫と家計を一緒に確認する

ステップ 3: 紙に書く

書いたものを、見える場所に置く。 冷蔵庫、トイレの壁、財布、スマホの待ち受け。 危機の瞬間に「思い出す」ではなく「見られる」場所に。

ステップ 4: 1週間ごとに見直す

1週間使ってみて、効いたもの、効かなかったものを記録する。 効かなかったものは Y を変える。


if-then が効くための条件

  • X は明確であること: 「不安なとき」より「金曜の20時を過ぎたとき」のほうが効く
  • Y はすぐ実行できる行動であること: 道具がいる行動はハードルが上がる
  • 誰かに頼む Y の場合、相手に事前に伝えておくこと: 「もしものとき電話するかも」と一言伝えておく
  • 頭の中でリハーサルすること: 平静なときに「もし X なら Y」を頭の中で何度も言ってみる
  • 完璧でなくていい: 最初の1つから

HALT、安全計画との関係

ここまでの3つの章で出てきたスキルは、それぞれ役割が違う。

スキル役割
HALT(第11章)自分の状態を点検するセンサー
if-then プラン(本章)引き金が来た瞬間の反射的な行動
安全計画(第8章)危機がエスカレートしたときの最後の砦

3つは独立しているのではなく、組み合わせて使う。

  • 普段から HALT で自分の状態を点検する
  • 引き金が来たら if-then で自動的に動く
  • それでもダメなら安全計画を発動する

if-then が効かない瞬間もある

正直に書くと、if-then が効かない瞬間もある。 特に強い渇望や、複数の引き金が重なった日は、計画通りに動けないことがある。

そのとき:

  • 自分を責めない
  • 「効かなかった」事実を記録する
  • 計画を細かく見直す
  • 「次はこうする」と更新する

if-then は完璧な防具ではない。 だが、何もないより遥かに強い。 何もない状態で危機の瞬間に立つのと、書いたプランがある状態で立つのとでは、結果が違うことが多い。


参考文献
  • Gollwitzer, P.M. (1999). Implementation intentions: Strong effects of simple plans. American Psychologist, 54(7), 493-503.
  • Gollwitzer, P.M., & Sheeran, P. (2006). Implementation intentions and goal achievement: A meta-analysis of effects and processes. Advances in Experimental Social Psychology, 38, 69-119.
  • Webb, T.L., & Sheeran, P. (2006). Does changing behavioral intentions engender behavior change? A meta-analysis of the experimental evidence. Psychological Bulletin, 132(2), 249-268.
  • Marlatt, G.A., & Donovan, D.M. (Eds.) (2005). Relapse Prevention: Maintenance Strategies in the Treatment of Addictive Behaviors (2nd ed.). Guilford Press.
  • Adriaanse, M.A., Vinkers, C.D.W., De Ridder, D.T.D., Hox, J.J., & De Wit, J.B.F. (2011). Do implementation intentions help to eat a healthy diet? A systematic review and meta-analysis of the empirical evidence. Appetite, 56(1), 183-193.
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