ドーパミンの罠: 楽しくないのにやめられない理由
給料日の翌日、いつものパチンコ屋に寄った。3万のうち、また2万を置いてきた。
出てきて駅まで歩く道、自分でも不思議だった。今日、楽しかったかと聞かれたら、答えられない。当たりが来た瞬間も「やった」と頭で言ってみるだけで、何も感じなかった。それでも次の台、また次の台と移動していた。
「楽しいから」じゃない。じゃあ何で続けていたんだろう。
帰り道、ずっとそれを考えていた。
ドーパミンとは何か
ドーパミンは、脳の中で「報酬」に関係する化学物質である。よく「快感物質」と呼ばれるが、これは半分しか合っていない。
ドーパミンの本当の役目は、「これから報酬が得られそうだ」という予感を感じたときに出ることである。報酬を予感したときに出て、その行動を強く促す。 食事や運動、人とのつながりなど、生存に必要な行動を繰り返させるための仕組みである。
ところが「快感そのもの」を作っているのは、ドーパミンとは別の物質である。脳の中の別の回路(医学的にはオピオイド系などと呼ばれる)が「楽しい」「満足した」という感覚を作っている。
「ドーパミン = 楽しい」は誤解。 「ドーパミン = やりたい、欲しい」が正しい。
「やりたい」と「楽しい」は脳の中で別物
近年の研究で分かってきたのは、「やりたい」と「楽しい」は脳の中で別々に動いているということである。
- やりたい: 「もっと、もっと」と行動を促す力
- 楽しい: 「気持ちよかった、満たされた」という感覚
普段はこの2つはセットで動く。 おいしいものを食べたい(やりたい)→ 食べる → おいしい(楽しい)→ 満足する。 普通の生活ではこの2つは一致しているので、わざわざ区別する必要がない。
ところが、ギャンブル依存ではこの2つが分離する。
楽しくないのにやめられない
ギャンブル依存の脳では、「やりたい」を生む回路は強く反応するが、「楽しい」を生む回路は弱くなっている。だから行動への衝動はあるのに、やっても「楽しい」が薄い。楽しくないので、もう一度やって満たそうとする。やってもまた楽しくない。もう一度、もう一度。
「楽しくないのにやめられない」のは、性格でも意志の弱さでもない。脳の中で「やりたい」と「楽しい」が分離している、その物理的な状態の結果である。
冒頭で書いた「『やった』と頭で言ってみるだけで、何も感じなかった」。これがまさに分離の体感である。多くの当事者が経験している。
続けるほど「やりたい」だけが強くなる
普通、同じ刺激を何度も受けると、脳は鈍くなる。これを耐性と言う。 ところがギャンブル依存では逆のことが起きる。きっかけに対する「やりたい」反応が、続ければ続けるほど強くなる。 これを医学用語では「感作」と言うが、要するに「敏感になる」ということである。
具体的には:
- パチンコ店の音、玉が出る音、看板、開店時間の通知
- これらのきっかけに対する脳の反応が、月単位・年単位で強くなる
- 最初は店の前を通っても何も感じなかったのに、1年後には足が止まるようになる
- 5年後には、看板が遠目に見えるだけで心拍が上がる
「やりたい」が育っていく一方で、「楽しい」は逆に薄れていく。 この分離が、依存の進行とともに広がっていく。
「最初の頃の感動」は戻らない
依存当事者の多くが体験すること:
「最初の大当たりの感動を、もう一度味わいたい」
その感動はもう戻ってこない。 理由は2つある。
- 脳の「楽しい」を生む回路が、繰り返しで鈍くなっている
- 「やりたい」だけが先行しているので、行動そのものは大きいが満たされない
これに気づかないまま「あの時の感じ」を求めると、お金も時間もどんどん使う。 気がつくと、楽しくないのにやめられない場所にいる。
戻らないものを追いかけ続けるのは、苦しい。 「戻らない」と認めることは、苦しいけれど、罠から抜け出す入口でもある。
罠から抜け出すヒント
ドーパミンの罠を理解することは、すぐに抜け出す薬にはならない。だが、理解することで2つのことが変わる。
ひとつは、自分を責めなくなることだ。「楽しくないのにやめられない」は性格の問題ではなく、脳の「やりたい」と「楽しい」が分離している、物理的な状態の結果である。自分を責める時間とエネルギーを、別のことに使えるようになる。
もうひとつは、別の「楽しい」を取り戻す方向に動けるようになることだ。ギャンブルでは戻ってこなくなった「楽しい」を、別の場所で取り戻す必要がある。体を動かす、人と会う、何かを作る、何かを学ぶ、寝る、食べる、太陽を浴びる。
最初は薄い。ギャンブル時代の「やりたい」の強さに比べると、何の感動もない。でも続けると、脳の「楽しい」を生む回路が少しずつ戻ってくる。時間がかかる。数週間、数ヶ月、長い人で1年以上。
「戻ってこない感動」の代わりに、「戻ってくる感覚」を待つ。
参考文献
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