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全体像と緊急対処 現実に向き合う 第17章

否認: 「自分は大丈夫」の壁

「自分は依存症ではない」 「やめようと思えばいつでもやめられる」 「ただ、いまはやめないだけ」 「他のやつとは違う」 「あいつは病院に行くレベルだったが、自分はまだそこまでじゃない」

これを5年間言い続けた人がいる。 言い続けながら、借金は500万円を超えた。 家族に隠していた借金がバレて、初めて自分が「やめられない」のだと認めた。

「やめようと思えばやめられる」と言っていた5年間、本人はそれを嘘だと思っていなかった。 本気でそう信じていた。 それが否認である。


否認とは何か

否認とは、事実を「事実ではない」と感じてしまう心の働きである。 意識的な嘘ではない。本人が本当にそう感じている。

依存症の世界で、否認は「症状のひとつ」と扱われている。 ギャンブル依存に限らず、アルコール依存、薬物依存、すべての依存症で観察される現象である。

否認は、本人を苦しみから守る役割を持っている。 「自分は依存症だ」と認めるのは、辛い。 辛さから守るために、脳が「自分は大丈夫」というフィルターをかける。

このフィルターは、本人には見えない。 フィルター越しに世界を見ているので、フィルターそのものが見えない。 これが否認を見つけにくくしている理由である。


依存当事者によくある否認のパターン

「やめようと思えばやめられる」

これがもっとも典型的な否認である。 本人は本気でそう信じている。 ただし、実際にはやめられていない。

事実: 「やめようと思った回数」と「やめた回数」の差が大きいなら、それはやめられていない。 「やめようと思えばやめられる」が事実なら、すでにやめているはずである。

「お金で困ってはいない」

借金がある。しかし「困っているレベルじゃない」と感じる。 「あのくらいなら、自分の収入でなんとかなる」と思う。 「他の人はもっと借金している」と比較する。

事実: 借金額と返済計画を紙に書いてみる。 書いた数字が、本当に「困っていない」レベルかどうかを、第三者の目で見る。

「ギャンブルがなくなったら逆に不健康になる」

「ストレス解消の手段がなくなる」 「他の依存に置き換わるだけだ」 「人間にはガス抜きが必要だ」 こういう論理が頭の中で動く。

事実: ギャンブルを「ストレス解消」と認識している時点で、すでに依存の構造がある。 普通の人は、ストレス解消にギャンブルを使わない。

「他の人とは違う」

「あの人は本物の依存症だが、自分は違う」 「自分は仕事もちゃんとできているし、家族関係も悪くない」 「自分はコントロールできている」

事実: コントロールできていれば、本書を読んでいない。

「家族には迷惑をかけていない」

「家族には言っていないから、家族は知らない」 「家族には影響していない」 「自分のお金でやっているから問題ない」

事実: 家族はだいたい気づいている。 気づいていて、何も言っていないだけの場合が多い。 そして、本人の「隠している」状態そのものが、家族に影響を与えている。

「いつかやめる」

「今は無理だが、いつかちゃんとやめる」 「子供が大きくなったら」「仕事が落ち着いたら」「お金に余裕ができたら」 こういう「いつか」は永遠に来ない。

事実: 本気でやめる人は、「いつか」ではなく「今日から」と決める。

「自分はギャンブルを楽しんでいる」

「やめるべきものではなく、ただの趣味だ」 「他の人だって趣味にお金を使う」 「ゴルフや旅行と同じだ」

事実: 趣味なら、やったあとに気分が良くなる。 ギャンブルをやったあとに気分が良くなっていないなら、それは趣味ではない。 第2章の「ドーパミンの罠」で書いた通り、依存の脳は「楽しい」を感じなくなっている。


否認のサインに気づく方法

「もし他の人が同じことを言っていたら」と問う

自分の頭の中のセリフを、第三者の視点から見直す。 「もし他の人が『やめようと思えばやめられる』と言っていて、実際には10回やめて10回失敗していたら、自分は何と思うか」

ほとんどの場合、「それはやめられていない人だ」と冷静に判断できる。 その冷静な判断を、自分自身に向ける。

数字を見る

否認は感覚で動く。事実は数字で動く。

  • 過去1ヶ月のギャンブル支出
  • 過去1年のギャンブル支出
  • 借金の総額
  • 「やめる」と決めた回数
  • 実際にやめられた最長日数

これらを紙に書く。 書いた数字を見ると、感覚と現実のズレが見えてくる。

家族や友人に「正直に」聞く

「自分はギャンブル依存だと思うか?」と、信頼できる家族や友人に聞いてみる。 ほとんどの場合、家族はもっと前から「依存だ」と思っている。 本人だけが気づいていなかったことが、はっきりすることがある。

セルフチェックを試す

依存症のセルフチェックは複数ある。代表的なものは「LIE/BET 質問票」というシンプルな2問のテストである。

  • これまでに、ギャンブルの量について大切な人に嘘をついたことがあるか?
  • 自分のギャンブルの量を増やしたいと感じたことがあるか?

両方に「はい」がついたら、ギャンブル依存の可能性が高い。 これは診断ではないが、否認の壁を超える手がかりになる。

もう少し詳しいものとしては、「SOGS(South Oaks Gambling Screen)」や「PGSI(Problem Gambling Severity Index)」がある。 これらは精神保健福祉センターや専門外来でも使われている。


否認を抜けるためにできること

「否認している」と自分に認める

これは矛盾しているように聞こえる。 否認しているのに、否認していると認められるのか?

実は、認められる。 「いま自分は否認しているかもしれない」と頭の中で言ってみる。 それだけで、フィルターが少し透明になる瞬間がある。

完全に否認を抜ける必要はない。 「自分は否認しているかもしれない」と疑い続けるだけでも、行動が変わる。

自分の状態を「書く」

頭の中で考えるのではなく、紙に書く。 書くことで、否認のフィルターが客観化される。

書くもの:

  • 過去1ヶ月の支出
  • 借金の総額
  • 「やめる」と決めた回数
  • 家族との関係の変化
  • 自分への嘘の数

書いたものを翌朝もう一度見る。 夜と朝で、感じ方が違うことがある。

否認を強化する環境から離れる

否認を強化する人や環境から、距離を取る。

  • 「お前はまだそこまでじゃない」と言う友人
  • 「みんなやってる」と言う仲間
  • ギャンブルを軽く扱う SNS や動画

これらに触れている間は、否認のフィルターが補強され続ける。

否認を弱める環境に身を置く

逆に、否認を弱める環境を作る。

  • GA や自助グループ(同じ経験をした人の話を聞く)
  • 当事者の手記、回復した人の話
  • 信頼できる家族との時間
  • 医療機関、相談窓口

「自分と同じ症状の人」に会うと、否認のフィルターが薄くなる。 「自分は違う」が、「自分も同じだ」に変わる瞬間がある。


否認は何度も戻ってくる

否認は、一度抜けたら終わり、ではない。 何度も戻ってくる。

回復が進んでいる時期にも、否認が戻ることがある。 「もう自分は治った」「もう一度くらいなら大丈夫」「自分は普通の人と同じになれる」。 これらは、回復後期の否認である。

否認が戻ったときに、それを「症状」として認識できるかどうかが、再発するかしないかの分かれ目である。


参考文献
  • Johnson, V.E. (1986). Intervention: How to Help Someone Who Doesn’t Want Help. Hazelden.
  • Carnes, P. (2001). Out of the Shadows: Understanding Sexual Addiction (3rd ed.). Hazelden.
  • Cunningham, J.A., Hodgins, D.C., & Toneatto, T. (2009). Relating severity of gambling to cognitive distortions in a representative sample of problem gamblers. Journal of Gambling Issues, 23, 147-153.
  • Johnson, E.E., Hamer, R., Nora, R.M., Tan, B., Eisenstein, N., & Engelhart, C. (1997). The Lie/Bet Questionnaire for screening pathological gamblers. Psychological Reports, 80(1), 83-88.
  • Lesieur, H.R., & Blume, S.B. (1987). The South Oaks Gambling Screen (SOGS): A new instrument for the identification of pathological gamblers. American Journal of Psychiatry, 144(9), 1184-1188.
  • Ferris, J., & Wynne, H. (2001). The Canadian Problem Gambling Index: Final Report. Canadian Centre on Substance Abuse.
  • Khantzian, E.J. (2003). The self-medication hypothesis revisited: The dually diagnosed patient. Primary Psychiatry, 10(9), 47-54.
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